寄稿文「第1期消費者教育推進会議における検討について」
野村 豊弘(※7)
1. はじめに
(1)本稿の目的
日本において、消費者問題が大きな社会問題として意識されるようになったのは、1960年代になってからであるとされている(※8)。しかし、当初は、食品・薬害などに関する大きな事件が社会の注目を集めていたにとどまり、消費者が購入する商品・サービスの高度化・複雑化、取引過程(購入・引渡し・支払方法など)の態様の多様化・複雑化に伴い、消費者の知識がそれに追いつかないことによる問題は顕在化してはいなかったように思われる。その後、消費者保護の観点から数多くの立法がなされ、消費者に対するその内容の情報提供も重要な課題になってきた。このような消費者の置かれている環境の変化により、消費者教育の必要性・重要性が指摘されるようになってきたのである。確かに、消費者問題について、消費者の関心が高まり、消費者の有する知識がより高度になれば、消費者被害が少なくなるであろうことは、容易に推測することができるであろう。しかし、実際には、日本の社会全体として消費者教育に取り組むことは、簡単には行われてこなかった。これまでに体系的な消費者教育の全体像が確立していなかったこともその一因であると思われる。
本稿においては、このような状況において、平成25年から消費者教育推進会議(筆者は会長として参加していた)において行われた消費者教育に関する検討を振り返ってみたい。
(2)消費者教育推進法の制定と消費者教育推進会議の設置
このような状況において、平成24年8月に多くの政党の協力による議員立法により消費者教育推進法(以下、推進法という)が制定され、消費者教育の基本理念が定められた。この法律では、消費者教育は、「消費者の自立を支援するために行われる消費生活に関する教育及びこれに準ずる活動」と定義されている(2条1項)。そして、「消費者教育は、消費者が消費者市民社会を構成する一員として主体的に消費者市民社会の形成に参画し、その発展に寄与することができるよう、その育成を積極的に支援することを旨として行われなければならない」と定められている(3条2項)。ここでは、「消費者市民社会」という新しい概念が用いられているが、それは、「消費者が、個々の消費者の特性及び消費生活の多様性を相互に尊重し自らの消費生活に関する行動が将来にわたって内外の社会経済情勢及び地球環境に影響を及ぼし得ることを自覚して公正かつ持続可能な社会の形成に積極的に参画する社会」を意味するものである(2条2項)。
推進法では、政府(内閣総理大臣および文部科学大臣)は、消費者教育の推進に関する基本的な方針(以下、基本方針という)を定めなければならないと規定されていた(同法9条1項)。そして、基本方針には、1消費者教育の推進の意義及び基本的な方向に関する事項、2消費者教育の推進の内容に関する事項、3関連する他の消費者政策との連携に関する基本的な事項、4その他消費者教育の推進に関する重要事項を定めるものとすると規定されている(同条2項)。また、「内閣総理大臣及び文部科学大臣は、基本方針の案を作成しようとするときは、あらかじめ、関係行政機関の長に協議するとともに、消費者教育推進会議及び消費者委員会の意見を聴くほか、消費者その他の関係者の意見を反映させるために必要な措置を講じなければならない」と規定されている(同条5項)。そして、この法律では、消費者庁に、消費者教育推進会議を置くことが定められており(同法19条1項)、消費者教育推進会議は、1消費者教育の総合的、体系的かつ効果的な推進に関して推進会議の委員相互の情報の交換および調整を行うこと、2基本方針に関し、政府が定めるべき基本方針に関して意見をとりまとめること、の事務を処理すると定められている(同条2項)。
このような規定に従って、消費者庁に消費者教育推進会議(以下、推進会議という)が設置され(※9)、第1回会議が平成25年3月6日に開催された。その後、第2回会議から第4回会議(平成25年6月4日開催)まで、基本的な方針の原案について、推進会議としての検討が行われた。他方、政府では、これと並行して、関係省庁の取組等のヒアリング、消費者委員会の意見聴取、消費者その他の関係者の意見聴取(パブリックコメント)を行い、これらを踏まえて、「消費者教育の推進に関する基本方針」を平成25年6月28日に閣議決定し、公表するに至った。
その後、推進会議では、第4回から第8回までの会議を開催するとともに、消費者市民育成小委員会、情報利用促進小委員会および地域連携推進小委員会を設け、消費者教育の具体的な推進のための方策について、精力的な検討を行い(※10)、これらの小委員会の検討をもとに、推進会議で議論を進め、平成27年2月23日に開催された第9回の会議において、最終的に「消費者教育推進会議取りまとめ」が決定され、同年3月5日に公表されている。
2. 「消費者教育推進会議取りまとめ」の概要と所感
(1)「取りまとめ」の概要
取りまとめは、「第一部消費者教育推進会議取りまとめ」と「第二部小委員会取りまとめ」から構成されている。
第一部は、3つの小委員会の検討を基に推進会議で議論した結果を取りまとめたものである。第1に、すでに述べたように、推進法は、消費者教育を「消費者の自立を支援するために行われる消費生活に関する教育(消費者が主体的に消費者市民社会の形成に参画することの重要性について理解及び関心を深めるための教育を含む。)及びこれに準ずる啓発活動をいう」と定義しているが、これまでの消費者基本法の基本理念を踏襲しつつ、消費者教育の対象について、視野を消費者一人一人の安全・安心から、消費者市民社会の形成への参画という消費者の行動にまで広げた点において、推進法の大きな意義があるとしている。
第2に、消費者市民社会の形成に向けた消費者の行動について、(1)消費者一人一人の行動、(2)消費者教育の担い手としての行動および(3)地域のネットワークへの参画の3つに分けて分析している。消費者一人一人の行動の特徴として、1自ら情報収集し、理解し、実践すること、2身近な周囲の人にも情報提供やサポートを行い、その実践を促すこと、3課題解決に向けて、社会(行政機関、団体、事業者等)に働き掛けることをあげている。消費者教育の担い手としての行動について、消費者一人一人が消費者教育の担い手となることが期待されているが、消費者市民社会においては、消費者一人一人が、「情報の受け取り手」であるとともに、「情報の発信者」であることを自覚し、自分が知ったり、学んだり、実際に活用した消費生活に関する情報を周囲の人に伝達することにより、消費者教育の担い手となることが出来るとしている。地域のネットワークへの参画について、地域のネットワークに積極的に参画していくことも期待されるとして、地方公共団体等が実施している消費生活に関するサポーター養成講座、推進法により都道府県・市町村に設置が求められている消費者教育推進地域協議会における情報交換がその具体的な活用事例としてあげられている。
第3に、多様な担い手が消費者教育をどのように実践していくかについて、各小委員会での検討結果を踏まえ、「消費者教育の担い手向けナビゲーション」、「消費者教育ポータルサイト」、消費者教育に関する「プロジェクト」の活用を提案している。
第4に、地域における消費者教育の実践には、地域で活動する多様な主体の連携が重要であるとして、連携を進める場として、消費生活に関する情報が集積される消費生活センターを拠点として位置付けること(※11)、また、そうした場で各主体の連携を図っていくコーディネーターの役割が、地域における消費者教育の推進又は支援に非常に重要であることを指摘している。第5に、消費者市民社会の形成に参画する多様な主体の活動について、地域における消費者教育の仕組みとして、多様な主体がそれぞれの強み・特長を活かしながらそれぞれの活動を行い、消費生活センターがそれぞれの活動の連携を図ったり、支援したりすることがより効果的と考えられるとして、消費者・サポーター、学校教育関係者、大学等関係者、社会教育関係者、消費者団体、事業者・事業者団体、福祉団体・福祉関係者のネットワーク、行政、その他の主体に対して、具体的にどのようなことが期待されるかを述べている。第6に、今期の推進会議では、十分に議論できなかった点については、次期の推進会議で議論を深めていくことが必要であるとして、今後の課題として、以下のようなものをあげ、議論の進むべき方向を示している。すなわち、1家庭や地域における子供の消費者教育、2初等中等教育(小学校・中学校・高等学校等)における消費者教育、3大学等における消費者教育、4社会教育との連携、5消費者の自主学習への取組支援、6消費生活に関連する教育との連携、7事業者・事業者団体の取組の促進についての検討、8福祉団体・福祉関係者との連携、の8つのテーマをあげている。また、今後に行うべき作業として、1消費者市民社会の概念の普及及び普及度の計測、2イメージマップの普及・活用の促進、バージョンアップ、3モデル事業、先進的取組の効果の検証、の3つをあげている。
なお、第二部は、各小委員会はそれぞれの取りまとめを収録しているが、その結果は推進会議の取りまとめの中に取り入れられているので、本稿では、紙幅の制約もあり、省略する。
(2)所感
推進会議は、20名の委員からなっていて、それぞれがこれまでいろいろな立場から消費者問題に関わってきた経歴を有していることから、活発な意見の交換が行われ、取りまとめにおいても、細かな表現に至るまで議論が交わされ、審議会のあり方として、極めて理想的であったと思う。私自身は、会長を引き受けたものの、本来民法の研究者として消費者問題を見ていたにすぎず、消費生活センター、消費者団体、消費者行政の現場の状況を十分に把握しているとはいえず、取りまとめは、委員のみなさんの多大な協力のたまものと判断している。とりわけ、会長代理の西村隆男先生からは、いろいろと貴重な助言を頂いた。
3. おわりに
第1期の推進会議では、消費者教育の体系的な検討の第1歩を踏み出したにとどまり、多くの課題を指摘したままに終了した。その後も、消費者庁においては、消費者教育審議会を設置し、消費者教育に関する検討課題に取り組んできた(現在、第6期となっている)。一方で、コンピュータ・通信などの科学技術の進歩により、消費者に提供される商品・サービスの多様化・複雑化が進展し、他方で、平均寿命の伸長による高齢者人口の増大、成年年齢の引き下げ、海外旅行の増加などにより、社会が大きく変化し、消費者教育の重要性はますます増している。
ローマ法に、「事実の不知は口実となるが、法の不知は口実とはならない(Ignorantia facti excusat, ignorantia juris non excusat)」という格言がある。同じ意味を持つものとして、フランス法には、「いかなる者も法を知らないとはみなされない(Nul n'est censé ignorer la loi)」という法格言がある。これらは、全ての人は法を知っていなければならないことを前提として、法を知らないことが法に適合していないことの正当な理由にならないことを述べたものである。このことは、消費者問題についても当てはまると考えられる。消費者教育においても、自立した消費者となるためには、消費者法(制定法のみならず、慣習法を含む広い概念である)を知っていることも重要である。
いずれにせよ、消費者教育の成果が一朝一夕の間に簡単に得られるものではないことはいうまでもない。消費者教育に関係する全ての機関および個人のたゆまぬ努力が重要であると考えている。消費者教育推進の今後の動向に注目したい。
- (※7)学習院大学名誉教授・弁護士。
- (※8)大村敦志『消費者法〔第4版〕』有斐閣(2011年)5頁。
- (※9)なお、消費者庁では、消費者教育推進法の制定以前においても、平成22年3月に閣議決定された消費者基本計画に基づき、学識経験者、消費者団体、教育関係者、関係省庁等を委員とする消費者教育推進会議を開催し、その報告書「消費者教育推進のための課題と方向」を公表している(平成24年4月6日)。
- (※10)消費者市民育成小委員会は8回、情報利用促進小委員会は6回、地域連携推進小委員会は8回開催されている。
- (※11)消費生活センターを消費者教育センターとして位置づけることについては、基本方針でも指摘されている(20頁以下)。