INTERVIEW「消費者庁は、どのようにして生まれたのか」
川口 康裕(※1)
北島 川口さんは、昭和57年に経済企画庁に入庁され、製造物責任法や消費者契約法の立法を法制検討グループの長として担当した後、福田総理のもとで、内閣官房に設置された消費者行政一元化準備室で参事官として活躍し、消費者庁設立後は、審議官、次長として合計7年間、消費者行政の第一線で活躍してこられました。また、御退官後は、ラトビア共和国で特命全権大使を3年務めた後、いくつかの大学で教鞭をとられる傍ら、消費者庁でも政策参与を務め、新未来創造戦略本部へのアドバイスを行っていただいていますね。
川口 経済企画庁に入庁したときは、国際派のエコノミストをめざしており、経済見通しを2年、経済白書を3年担当し、英国(LSE)で経済学を学んで帰って、国際経済第二課の課長補佐として、日米構造問題協議などに参加していたころまでは、その路線でした。その後、そこへ行くはずだった同期のかわりに、国民生活局消費者行政第一課の課長補佐に異動したのが、消費者行政との出会いです。以来、通算15年、新法の策定5本を含め、たくさんの法改正に関わり、これほど消費者行政とご縁ができるとは思いませんでした。当時、OECDの国際収支担当のエコノミストに応募し、内定をいただいていたのですが、製造物責任法立法の作業が佳境を迎え、断念しました。
平成18年夏から21年8月末まで、消費者庁の前身のひとつである内閣府国民生活局の総務課長を務めました。平成20年2月からは、消費者庁設立に向けて内閣官房に設置された消費者行政一元化準備室(以下、「準備室」といいます。)の内閣参事官を兼務しました。準備室の体制は、室長に松山健士内閣府大臣官房総括審議官が発令され、その下に、国土交通省から福富光彦内閣審議官、そして私を含めた3名の内閣参事官、そして室員数名という体制でした。
北島 そもそも消費者庁はどのような経緯で設立に向けて動きはじめたのでしょうか。
川口 消費者団体の老舗の主婦連や日本弁護士連合会が早くから消費者庁構想を掲げていました。しかし、現実的な政策スケジュールに乗ったのは、福田総理が、政権の最重要課題にあげたということが決定的に重要です。そして、明確な方針が示されたのは、平成20年1月18日の第169回国会における施政方針演説です。福田総理は「食品表示の偽装問題への対応など、各省庁縦割りになっている消費者行政を統一的・一元的に推進するための、強い権限を持つ新組織を発足させます。併せて消費者行政担当大臣を常設します。新組織は、国民の意見や苦情の窓口となり、政策に直結させ、消費者を主役とする政府の舵取り役になるものです。すでに検討を開始しており、なるべく早期に具体像を固める予定です」と、消費者行政の一元化のための強い権限を持つ新組織の発足を表明しました。
消費者庁構想は、総理のトップダウンで方針が示された点に特徴がありますが、福田総理は、小泉内閣において内閣官房長官を務められていた際(平成12年10月から平成16年5月)、「安全・安心の重視」を霞が関の政策の中に浸透させる役割を果たされており、このころから消費者庁設立の萌芽となる問題意識をお持ちだったと思います。
北島 福田総理は、就任直後から消費者庁設立に向けて動かれたのでしょうか。
川口 平成19年9月26日、福田内閣発足時の「内閣総理大臣談話」では、「国民の皆様が、日々安心して暮らせるよう、より消費者や生活者の視点に立った行政に発想を転換し、消費者行政を強化します」と述べられており、同年10月1日の第168回国会における所信表明演説では、「安全・安心の重視」という官房長官時代に育んだ考え方を基本としつつ、「消費者保護のための行政機能の強化に取り組みます」と述べられています。もっとも、この時点では、あくまで「行政機能」の強化であり、消費者庁につながる新たな行政組織をイメージした表現は見当たりません。
その後、福田総理は、同年11月2日の閣僚懇談会において、国民が安心して暮らしていけるようにするために、行政の在り方の総点検と緊急に講ずるべき施策の検討を行うよう指示し、同年12月17日、「生活安心プロジェクト」に関する関係閣僚会議において「緊急に講ずる具体的施策」が取りまとめられました。総理の指示で、この総点検と検討を私が国民生活局総務課長として事務局を務めていた国民生活審議会が担当し、生活安心プロジェクトのとりまとめは、当時の岸田内閣府特命担当大臣(国民生活担当)が担当されました。それをやはり国民生活局が事務方としてサポートしました。しかし、この段階においても、「新しい組織」については、踏み込んで言及したものはありませんでした。
ところが、総理は、平成20年1月3日の伊勢神宮参拝時の記者会見において、食品表示の所管省庁が複数に渡っていることを指摘したうえで、「国民生活に直結することで、どこかでまとめて行政をするような形になればよいと考えている」と踏み込んだ発言をされました。さらに先ほど紹介した施政方針演説(同年1月18日)で「新しい組織」について正式に表明され、動きが加速していくこととなるのです。
当時は、施政方針演説の起案には、事務方が素案となる短冊を作成して官邸に持ち込むということがよくありましたが、この演説については、そういう作業はまったくありませんでした。官邸から内閣府に素案がおりてきたので、のちに消費者庁の初代長官となられた内田内閣府事務次官のもとで、関係者で対応を協議したことを覚えています。
北島 施政方針演説がなされた段階で、「新しい組織」について何らかのイメージはあったのでしょうか。
川口 政府の中で内々でも共有していた方針や方向感は何もありませんでした。演説の文章が全てでした。例えば、「統一的・一元的に推進するための、強い権限を持つ」といってもどのような「強い権限」なのか、政府内の権限なのか、国民や事業者に対するものなのか。「新組織」といっても、省なのか、庁なのか、公正取引委員会のような3条委員会なのか、それとも法律、政令、閣議決定などで設置される機関なのか等、様々な論点について検討する必要がありました。政府部内では、国民生活審議会において「新しい組織」の必要性についての認識がようやく生まれつつあったものの、その具体的な姿についての検討には至っていませんでした。
北島 ほぼ白地で検討が始まったのですね。
川口 そうですね。平成20年の1月30日に、岸田文雄内閣府特命担当大臣(国民生活担当)が官邸に呼び込まれ、総理から官邸に検討の場を置く、ついては、担当大臣をやって欲しいとの指示がありました。2月6日に、正式に、消費者行政推進担当大臣の発令が行われるとともに、準備室が発足しました。同月8日には、閣議決定により設置された消費者行政推進会議において、新組織のあり方の検討がスタートしました。座長には、国民生活審議会の会長を務められていた佐々木毅学習院大学法学部教授(元東京大学総長)が就任されました。
北島 総理指示から1週間あまりの非常に短期間での発足ですね。準備はいかがでしたか。
川口 この8日間は、本当に目の回るように忙しい8日間でした。実は、岸田大臣が、官邸に呼び込まれた同じ日に「中国製冷凍餃子を原因とする薬物中毒事案」が厚生労働省を通じて官邸の知るところとなり、その対応の担当大臣に、同じく岸田大臣が指名され、担当が国民生活局になったのです。翌朝には、関係閣僚会議を開催するということで、深夜には、坂副長官補(内政)と西国民生活局長が関係省庁の局長を招集し、準備会合を開催しました。私も関係省庁の局長の自宅に電話をしたりして手伝っていましたが、消費者庁の設立準備については、当初、松山内閣府総括審議官と私しかいなかったので、冷凍餃子対応は、国民生活局消費者行政第一課にお願いし、私は、消費者庁設立の準備に専心することとしました。
最初は、準備室の室員の構成を考え、募集をしながら、消費者行政推進会議の委員の構成や人選を検討するという作業をしていました。経済企画庁時代、消費者行政に豊富な経験を持ち、当時国民生活センターに課長として出向していた坂田進さんに、内閣府に戻っていただき、企画官として、活躍してもらいました。消費者行政推進会議の委員は、基本的に総理の意向を確認しながら町村官房長官が決められるのですが、その前に、二橋副長官(事務)、坂副長官補(内政)のところに御相談にあがりました。一日に何度も官邸に行く必要があるため、官邸の通行パスを発行してもらいました。昼食も官邸の職員食堂を何度も使わせていただきました。
この会議は、10人の委員の参加を得て、総理、官房長官、消費者行政推進担当大臣が常時出席する会議でしたが、当時は総理が常時出席する会議は、経済財政諮問会議は別として、ほとんど例がありませんでした。準備室員は、官邸に声をかけていただいて、各省から選りすぐりのメンバーが選抜されました。いずれも総理の「1丁目1番地」のプロジェクトに取り組んでいるという高揚感のもとで仕事を進めていきました。
同会議の検討事項としては、(1)消費者行政を統一的・一元的に推進するために必要な権限、(2)所掌事務及び組織形態(消費者行政を担当する大臣の常設化を含む)、(3)消費者にとってわかりやすい窓口、の3点が掲げられ、まさに総理の所信表明演説を具体化する場であることが明確にされました。
北島 どのようなことが論点になったのでしょうか。
川口 消費者行政推進会議で最大の論点は、新組織の性格でした。
3つの議論の方向性がありました。第一に、強い勧告権を持つ司令塔。第二に、強力な企画立案権を持ち、精力的に消費者立法を行う組織。第三に、事業者に対する行政処分権を持つ具体的な法律を所管し、執行する組織です。第一、第二の性格については議論を進める中で委員の共通認識となっていきましたが、第三の性格については、意見が分かれ、新組織の性格、規模等を考える上で重要な論点となりました。
仮に、第三の具体的な行政処分権限を持たないとしても総理の施政方針演説の方針と矛盾するものはなく、第一の性格(司令塔機能)を中心にした組織が望ましいという意見が大勢を占めつつありましたが、地方自治体で消費者行政の経験のある委員から、「色男金も力もなかりけりではだめなんです。」という明快な発言があり、一気に押し戻した感がありました。また、具体的な行政処分権を持つ場合の分野についても「表示」や「取引」を中心にし、「安全」については直接所管しないということも選択肢としてありました。そのときには、公正取引委員会を抜本的に強化した上で、それを新組織とするということも選択肢として視野に入ってきます。与党でも並行して議論が進められ、関係省庁がそろっている中で、消費者団体のヒアリングも行われました。その場で、ある老舗の消費者団体の事務局長が、「私たちは、公正取引委員会に命を預けることはできません。」と明言されたのが印象的でした。
こうした議論が進められる中で、福田総理は、平成20年4月16日、千葉県消費者センターを訪問されました。現職の総理が、県の消費者センターを訪問されたのは、初めてのことだったと思います。県の消費生活相談員とも懇談され、その中で、相談員の一人から、「私たちは、相談を進めるときに、中央省庁に電話で相談をすることがよくあります。今は、いろいろな省庁に電話する必要がありますが、今後は、一つの省庁にだけ相談すれば済むようにしていただきたい。」といった発言がありました。総理は、それを黙って聞いていらっしゃいました。
4月23日、総理自身が、消費者行政推進会議において、「表示、取引、安全の全てを所管する」とともに、「一元的な窓口機能、企画立案、法執行、勧告などの機能を有する消費者行政全般についての司令塔として位置づける。」「消費者に身近な問題を取り扱う法律は、消費者庁に移管する。」と発言し、勧告機能を持つ司令塔という性格に併せ、新組織が、第三の性格、すなわち、法執行(行政処分)を行うものであるということを明確にしました。この発言は、準備室において原案を用意したものではなく、消費者行政推進会議に毎回出席し、県の消費者センターにも訪問しながら、自ら考えられた総理の方針の表明でした。この後、消費者行政推進会議の議論は、総理の発言を軸に細部の詰めを行うという作業に移行しました。
北島 新組織の大きな方向性が総理によって示され、そこから各省庁が所管する法律のうちどの法律を実際に新組織に移管するのかという議論に進んでいったのですね。検討は円滑に進んだのでしょうか。
川口 もちろん、簡単に進んだわけではありません。官邸で開催された検討会議の検討結果がまとまったとしても、関係する国務大臣が了承してくれなければ、閣議決定をして、法案化することができません。岸田消費者行政推進担当大臣のリーダーシップの下、準備室において、参事官が関係省庁を数省庁ずつ分担して、突っ込んだ意見交換を行いましたが、各省庁からすると、一生懸命取り組んできた消費者行政の権限とそのための組織を失うことになる話ですので、事務方(局長、課長レベル)では調整がつかず、ほとんどが大臣間の折衝となりました。岸田大臣は、連日何人もの大臣と個別に折衝しましたが、何度も同じ大臣と個別折衝を行い、大詰めの段階になると、官邸で町村官房長官が行司役を務める形で岸田大臣と所管大臣による3者協議が行われました。いずれも事前にシナリオのない真剣勝負でした。
閣僚間でのそれぞれ数度にわたる真剣な議論の末形成された一致点、共通認識を踏まえて、部下の松山室長と担当参事官が細部を詰めるという形で、関係省庁と具体的な合意を積み上げていきました。
北島 川口さんは、どの省庁との調整を担当されたのですか。
川口 平成19年9月に成立した福田内閣で、岸田大臣が折衝した関係省庁の大臣は、歴代内閣のなかでもとりわけ所管行政に通じた論客がそろっていました。
甘利明経済産業大臣、若林正俊農水大臣、舛添要一厚生労働大臣、渡辺喜美金融担当大臣といった方々です。私は、調整がとりわけ難航し、大臣折衝の回数も多かった経済産業省、農林水産省、厚生労働省を担当しましたので、毎日2、3時間の睡眠で、対処方針の原案作りや、大臣説明、官邸での大臣折衝の同席、大臣折衝後の先方事務方との議論の整理などを繰り返しましたので、40年間の役人人生でも最もハードな1週間でした。
北島 大臣折衝の論点はどのようなものでしたか。
川口 所管行政に通じた大臣が、当該権限を消費者庁に移管するよりも自分の省庁に残した方が消費者の利益になるということを説得力のある論理で力説されました。しかし、つまるところ、各大臣の主張は、「当該権限を残した方が、業あるいは物資を所管する部局の現場に即した詳しい情報に基づき、より適切な判断のもとに、消費者担当部局が、業界を効果的に指導できる」ということでした。これに対する岸田大臣の主張は、「消費者庁ができれば、これまでは、「縦割り」省庁がそれぞれの省庁内の部局で連携していたものを省庁の「縦割り」を超えて連携する。それができないという理由はない」というものでした。
北島 大臣折衝の結果を踏まえて、推進会議の議論の集約が進んだのですね。
川口 振り返ってみると、消費者庁設立の「前半の山」は、先ほど言及した平成20年4月23日の福田総理の発言とそれに続く岸田大臣と関係閣僚との折衝だったと思います。
総理自身が熟慮の末、骨格となる方針をしっかりと打ち出し、幹に当たる部分を岸田大臣が何度も閣僚折衝を行って調整していたため、ほぼ消費者行政推進会議の議論どおりの内容が、会議のとりまとめとなり、さらに同月27日には消費者行政推進基本計画として閣議決定されました。
北島 消費者行政推進基本計画についての外部からの評価はどのようなものでしたか。
川口 この計画は、昭和46年の環境庁、昭和49年の国土庁発足以来34年ぶりにいくつもの省庁から組織を統合し、人員・権限を移管した新たな省庁を作ることを閣議決定したものです。行政法の権威であり、その後最高裁判所判事になられた宇賀克也先生より、「その広がりにおいて前例のない霞が関改革であった。」との評価をいただきました。
もともと消費者庁構想を持っていた消費者団体や日本弁護士連合会からも大変高い評価をいただきました。経団連をはじめ経済界も歓迎し、応援していただきました。
北島 そして、その後は、計画の具体化の段階に入っていくのですね。
川口 基本計画を具体化し、消費者庁を平成21年度から発足させるための準備作業として、一元化準備室において、予算概算要求、機構・定員要求作業を行うとともに、消費者庁関連3法案の準備を進めました。参事官で分担し、財務省出身の参事官は予算を、総務省出身の参事官には機構・定員要求のとりまとめを担当していただきました。私は、法案を担当し、組織法である「消費者庁設置法」と基本的な作用法となる「消費者安全法」という2本の新法と、各省庁からの権限や組織の移管を定める束ね法である「整備法」の3つにまとめました。
通常は、この規模の法律であれば、夏に作業に着手した場合、翌年の通常国会提出に間に合うかどうかも微妙、というのが中央省庁の相場観です。しかし、この法律は、秋に召集する臨時国会に提出する方針が定められましたので、消費者行政一元化準備室においては、夏休み返上で、作業が続けられました。新しく消費者行政推進大臣に就任した野田聖子大臣の指示で、後に法制局長官を務められた内閣法制局の横畠部長にも夏休み返上での審査をお願いに行きました。
政府における法案の立案作業は、一省庁だけでできるものではありません。特に、このときの法案のように行政改革の性格を持つものは、関係省庁の協力なしに進めることは不可能です。一方、関係省庁にとっては自らの権限が縮小するというインセンティブの極めて乏しい作業です。しかし、総理の「一丁目一番地」の法律であり、すでに大きな方針が閣議決定されているという前提のもとで、一元化準備室に出向している各省庁等からの出向者が架け橋となってよく調整していただき、関係省庁の協力も十分に得られ、作業は順調に進みました。
北島 夏休みが終われば、予算と組織・定員の概算要求、いよいよ法案をとりまとめ、国会へ提出するというところまできたわけですね。
川口 ところが、法案策定作業もほとんど終わりかけていた、平成20年9月1日夜に、福田総理が突然「辞意」を表明されました。一時は、関係者の間に、年初の施政方針演説以来積み上げてきた作業が全て水の泡になってしまうのかとの緊張感が走りました。しかし、総理は、辞任表明後も自分の内閣で消費者庁関連法案の閣議決定を行うという強い意欲を示し、松山室長の奔走の結果、無事9月19日に福田内閣の下で消費者庁関連3法案が閣議決定されました。
細川護煕内閣の下で、製造物責任法案の閣議決定を目前にした平成6年4月8日、細川総理が突然の辞意表明をされ、当時の坂本国民生活局長の奔走で、滑り込みで、その正式退陣前に法案の閣議決定をしたことを思い出しました。
北島 福田総理の強いリーダーシップで進められた消費者庁構想でしたが、福田総理から麻生総理に代わり、消費者庁設立に向けた議論に変化はあったのでしょうか。
川口 いったん法案を閣議決定したとはいえ、福田総理の退陣により、消費者庁構想が雲散霧消となるのではないかと懸念は残っていました。しかし、後継となった麻生総理は、平成19年9月29日の所信表明演説で消費者庁創設の緊急性・必要性を力強く述べ、その懸念を吹き払いました。また、麻生内閣は、福田内閣で閣議決定した法案を再度閣議決定し、同年9月29日、第170回国会に、消費者庁設置法案(閣法第1号)、消費者庁設置法の施行に伴う関係法律の整備に関する法律案(閣法第2号)、消費者安全法案(閣法第3号)の3本の法案を提出しました。その法律番号が、関連3法案が、第170回国会に麻生内閣が提出した第1号から第3号の3本の法案であることを示しており、新たに発足した内閣における力の入り方をみることができます。
北島 臨時国会における3法案の審議状況は、どのようなものだったのでしょうか。
川口 当時の国会の構成は、衆議院で与党(自公)が3分の2を占める一方、参議院では、野党が多数を占めるいわゆる「ねじれ国会」でした。従来、消費者庁法案のような消費者の利益の擁護・増進に関わる法案は、「全会一致」で成立するのが慣例でしたが、民主党は、政府案と目指すところはおおむね共通ではあったものの、人事院と同様に、新たに設置する消費者権利院を「内閣の所轄の下に」置く、独自の消費者権利院法案をほぼ完成させていました。民主党は、政権交代をしてからこの問題を審議することによって、消費者権利院法案を成立させたいという考えがあったと思われます。結局、三法案は、いわゆる「吊るし」の状態で、第170回国会においては審議入りすることなく、議論の場は第171回国会(通常国会)に引き継がれました。この間、一元化準備室では、予算と機構・定員の年末の閣議決定に向け、査定当局と折衝を続けるとともに、法案については、様々な角度から練りに練った想定問答集を作成しました。「畳の上の水練」は、十二分に行ったと自負していました。
北島 法案審議の舞台は、通常国会に持ち越しとなったのですね。独自の法案を検討していた民主党とどのように折り合いをつけたのでしょうか。
川口 平成21年1月5日に開会された第171回国会(通常国会)では、冒頭、1月5日に両院に「消費者問題に関する特別委員会」が設置されました。この法案は、民主党の方針を反映して、いわゆる「吊るし」がおりず、ずいぶんと苦労しました。野田聖子消費者行政推進担当大臣、松山室長、福富審議官らの粘り強い関係方面への働き掛けの結果、通常の法案審議日程のトップバッターとの位置付けで、政府案と民主党案がともに、審議されることとなりました。
法案は、同年3月17日の衆議院本会議において、野田大臣による趣旨説明、質疑が行われた後、同日に同特別委員会(船田元委員長)で趣旨説明が行われ、翌18日に麻生総理出席の下で、審議入りしました。法案の委員会質疑としては、極めて異例ですが、担当の野田大臣に加え、審議日ごとに異なる大臣(農林水産、厚生労働、経済産業、法務、国土交通、総務、金融の各大臣及び国家公安委員長)が出席し、政府案及び民主党提出の消費者権利院法案について計58時間にわたる審議が行われました。
最終的には、衆参の消費者問題特別委員会の与野党の理事で修正協議を行っていただきました。岸田前消費者行政推進大臣が、委員会の与党筆頭理事として活躍されたことは、一元化準備室としては大変心強いことでした。協議では、民主党法案の消費者権利院法案の考え方を政府案に最大限取り入れ、「消費者政策委員会」を「消費者委員会」と名称変更した上で、消費者庁に置くのではなく、内閣府本府に設置して独立性を高めた上、同委員会に強い権限(建議・勧告)を付与し、法案の名称も「消費者庁及び消費者委員会設置法」とするといった修正を行うことで、与野党の合意に達しました。そして、同年4月17日に衆議院本会議で可決されました。参議院では、「消費者問題に関する特別委員会」での30時間の質疑を経て、同年5月29日に本会議で可決されました。
北島 構想が総理により施政方針演説で明らかにされてから法案がまとめられるまで9ヶ月、そこから閣議決定され、その後なかなか審議入りができなかったとはいえ、1年5ヶ月あまりの短期間で法律が成立したというのは注目すべき点ですね。消費者保護という観点では共通する部分もある製造物責任法が、成立まで20年を要したことと比較するとそのスピードに驚かされます。
川口 消費者関連3法の主眼が消費者行政の司令塔である消費者庁の創設にあり、国民の権利義務や国と地方の関係に直接に変動をもたらすような事項については、設立後の消費者庁・消費者委員会の課題とされ、それほど盛り込まれなかったということもあると思います。ただ、それ以上に、成立までの速さを決定づけたのは、時の政権がもっとも優先順位の高い課題(一丁目一番地)として位置付けたことです。福田総理は施政方針演説で方針を表明し、官邸に検討の場を設け、総理自身が毎回出席し、検討を進めました。検討会で議論が分かれる論点には、総理自ら方針を表明し、そうしてまとめられた検討結果がほぼそのまま閣議決定され、それに沿って、法案が策定されました。福田内閣が退陣した後を引き継いだ麻生内閣においても、前内閣の方針が引き継がれ、直ちに法案が提出され、最優先で法案成立の努力がなされたことが、消費者庁関連3法案の成立過程の特徴であると思います。
北島 そして、9月1日には、法律が施行されて消費者庁が誕生しましたね。
川口 法案が成立後は、内閣府国民生活局に消費者庁と消費者委員会の設立準備の室を設置し、関係省庁にも協力をいただきながら、人事などを進めていきました。私は、(発足前の)消費者庁と消費者委員会の「総務課長」を務めました。しかし、発足した消費者庁ではなく、内閣府の外局として兄貴分にあたり、消費者庁の組織作りの参考にした金融庁を希望し、監督局の参事官(指定職)として2年間出向しました。
北島 消費者庁の設立検討段階から現在に至るまで消費者行政に長く携わってこられた御経験から、消費者庁は目指していた姿を実現できているか、今の消費者庁をどのようにご覧になっていますか。
川口 消費者庁は、消費者団体、日本弁護士連合会をはじめとする多くの関係者の熱い「想い」と運動の上に成立しました。こうした方々と消費者行政一元化準備室の共同作業の成果が消費者庁と消費者委員会でした。
この準備室にいて、消費者庁にも勤務する機会を与えられたのは、私と坂田進企画官(後、消費者庁で審議官)のほか、ほんの数えるほどです。私は、7年間にわたり、この「想い」に応えられるように、また、一元化準備室の作成した各種の想定問答にあった消費者庁の姿を実現できるように、私なりに務め、法律はそれなりに成立しましたが、当時の皆さんの「想い」に応える消費者庁を作ることは、けっして容易なことではありませんでした。
私が退官した後、二人の長官を迎え、四人の次長が就任しました。この間、消費者庁は、様々な分野で着実に進化しています。しかし、消費者庁の職員と、消費者庁設立に向けて運動した人々との交流は、かつてよりも疎遠になってしまっているように感じます。
私は、次長として、板東久美子、岡村和美の二人の長官にお仕えしました。長官に内定されたところで、私が基本的な資料をもって、ご挨拶にうかがい、概略のご説明をしたのですが、「まずは、最初にお目通しいただきたい」とお願いしたのが、平成20年6月27日に閣議決定した「消費者行政推進基本計画」です。
この計画は、消費者庁を作った福田総理と、消費者行政推進会議、そして、内閣官房消費者行政一元化準備室の知恵が凝縮しています。この計画には、その後、法律や、予算、組織定員、各種の政策等で実現したことと、未だに手つかずのものや、実現していないことが混在しています。しかし、いずれにしてもこれは、単なる審議会あるいは検討会の報告書ではなく、閣議決定した政府の正式な方針です。そして、消費者庁設立に向けて運動された人々の努力の結晶でもあります。消費者庁に入庁したプロパー職員はもちろんのこと、他府省庁から出向された方、任期付き任用で採用された方など、いずれにせよ、消費者庁ではじめて働く方々には、ぜひ、はじめから最後まで通読していただきたいと思います。
そしてプロパー職員の皆さんは、他省庁、地方自治体、留学、国際機関などいろいろなところで活躍し、そこで学んだことを持ち帰って、消費者庁をさらに発展させていただきたいと思います。
- (※1)中央大学特任教授(総合政策学部)、鳴門教育大学客員教授、消費者庁政策参与(新未来創造戦略本部担当)、(公社)消費者関連専門家会議特別顧問。
内閣府国民生活局総務課長、内閣官房消費者行政一元化準備室参事官、内閣府消費者庁・消費者委員会設立準備室参事官、金融庁総務企画局参事官(監督局担当)、消費者庁審議官、消費者庁次長(平成30年7月まで)を歴任。