第1回 家族とライフスタイルに関する研究会 議事概要


1.日時  平成13年3月9日(金)14:00−16:00

2.場所  内閣府府議室(第4合同庁舎5階)

3.出席者
(委員)八代尚宏座長、大村芳昭、喜多村悦史、木村陽子、永瀬伸子、前田正子、山田昌弘の各委員
(事務局)坂井副大臣、池田局長、塚田審議官、大石審議官、太田総務課長、井内調査室長
(オブザーバー)田口参事官、綱木課長

4.議題  家族とライフスタイル変化について(現状と展望)

5.審議内容

 開会後、委員紹介、座長挨拶の後、坂井副大臣より、「これからの少子高齢化社会を迎えるにあたって、家族について議論すべきことはいろいろある。民法上では親子兄弟の扶養義務があるが、特に障害者がいる場合、家族の負担等が重要な問題になってくる。夫婦別姓の問題も、お墓の管理の問題などとも結びつけて考える必要がある。介護保険、児童手当や育児などといった問題もある。リバースモーゲージや中小企業の事業承継税制についても、民法上の相続遺留分の問題などを考えなければならない。これらに係る税制・予算・法律上の諸問題などについて論点を整理し、それぞれ社会保障あるいは男女共同参画の政策などにつなげていきたい。」との挨拶があった。

 続いて太田国民生活局総務課長より研究会の趣旨、主要テーマ等について説明があった。

 以上で事務局からの説明を終わり、引き続き、座長から本研究会のテーマについて、次のような「問題提起」が行われた。

「問題提起」
家族を取り巻く環境の変化として少子高齢化の進展がよく取り上げられるが、家族を取り巻く外的な環境が変化しているというよりも、むしろ家族行動の変化が少子化という形になって現れていると考えるべき。
厚生省の将来予測を含めた出世率の推移をみると、減少ののち増加へ転じるという過去の予測はことごとく外れている。(厚生省の)予測の根拠は、いずれ出生率は上昇するという晩婚化の見解に基づいているが、出生率の低下は晩婚化ではなく非婚化によるものである。
また、子供の数についても、厚生省は、結婚したら必ず2人は子供をもつという前提に基づいているが、結婚しても1人しか子供を産まない傾向が強まっている。
このような傾向がみられるようになった背景には、意識ではなく、構造の変化があると考えている。
経済的な面から出生率の低下をみると、子育てのコストが上昇してきていることが指摘できる。これまでも具体的に教育費などの増加が指摘されているが、より大きな要因は、女性の子供を育てることの機会費用が高まってきていることにある。子育てと就業継続が両立しがたいような環境の下では、女性の経済的地位が高まるほど、子育ての機会費用も上がる。この仮定が正しければ、今後も出生率の低下は続くものと思われる。
次に長寿化の進展について。日本の平均寿命は世界一であり、特に女性は顕著である。しかも男女格差は年々広がってきている。従って、高齢化の問題は、実は高齢女性の増加の面が大きい。夫と妻の年齢差は2歳半くらいで、かつ女性は男性より6歳くらい長生きであることから、平均して8.5年くらい未亡人の期間があることになる。従って、夫と死別した一人暮らしの高齢女性の数が今後急速に増加することが考えられる。
家族を取り巻く変化として、高い経済成長あるいは所得の上昇を前提としたこれまでの家族の行動様式が今後変わっていくことも考えられる。
所得の上昇を前提とした典型的な行動として、家をもつことがあげられる。将来の地価の上昇も考え、若いうちに家を買うという行動が多くみられ、また政府もこれを奨励してきた。また、子供に多くの投資をすることや専業主婦であり続けることも容易であった。しかし低成長の下では、持家より借家、大学に進学するよりは技術を身につけるため専門学校に進学する、専業主婦よりは共働きをするといったことが1つのパターンになるのではないか。そうした意味から、経済成長の減速は家族行動にかなり大きな影響を与えるものと考える。
また、経済成長や所得が停滞するということは、企業倒産、失業が増えることであり、家計も常にそのリスクに備えなければいけない。リスクの分散という観点からも、一人で家計を支えるのではなく、共働きが今後、標準的な働き方になるのではないか。
家事代替的なサービス産業の増加をはじめとするサービス産業の発展は、女性の就業機会の拡大に貢献している。さらに女性の高学歴化、サラリーマン化が進んでいく。日本の女性は昔から働いていたともいわれているが、70年代までの働き方は、主として自営業であり、サラリーマンとして働くことは個人の所得を得るために働くという点で、全く意味が違う。同時に高齢労働者も増えてくる。企業が万全であれば終身雇用、年功賃金は結構なシステムであるが、企業が倒産したら大変なことになる。終身雇用や年功賃金の隠れた特徴は、家族ぐるみの雇用形態にある。企業は男性を徹底的に使い、その代わりに妻は家事・育児に専念させるといった極度な男女間の分業関係を前提とした雇用システムになっている。そうした中で女性が働くことは、家事・育児と両立させることを困難にしている。これは男性中心主義というよりも、企業内訓練を過度に重視する日本の雇用システムによるものと考える。今後、短期雇用、フラット賃金、契約労働等が中心になると、女性、高齢者、そして若い男性にとっても働き方の選択肢が増えることになる。
情報革命は、ますます男女の労働力の格差を縮めている。また、企業を異動するコストが小さくなっており、これは女性にとって大きな意味をもつ。さらに、IT機器は個人の潜在能力を何倍にも拡大し、それによる生産性格差も拡大するものと考える。
そういった制度環境の変化の下で家族が今後どう変化していくかということだが、まず親子の同居率の低下が挙げられる。核家族化を含めた世帯規模の縮小は今後も続くであろう。
次に晩婚化・非婚化について、パラサイトシングル仮説というものがあるが、これについて、親子の過度な結びつきが原因で少子化をもたらしているという考え方と、むしろそれは少子化の結果であるという考え方(昔は子どもが多く、親と一緒に住まない次女、三女などがいたが、現在は一人っ子が親と住み、結果的に親との同居率は高まっている)がある。
共稼ぎ革命は、女性の経済的な自立度を高め、当然離婚率も高まる。
恋愛結婚の増加は、結婚の市場化であると言える。この表現は反発があるかもしれないが、実は、恋愛結婚というのは極めて経済学的な行動である。制約条件つきの最大化行動、すなわち、自分の魅力という制約条件の下で、できるだけいい相手を見つけるという極めて合理的な行動である。厚生省の調査では「いつかは結婚するつもり」という人が9割を占めている。だからいずれ結婚するのだというが、経済的な観点からみれば、潜在需要と顕在需要を混同している。いつかは結婚するというのは、よい相手がいたらという前提があるわけで、よい相手というのは、自分の給料やキャリアを犠牲にしてもよい相手ということである。今や女性の所得が非常に高くなるなか、そんな男性がなかなか見つからないから、生涯結婚しないという考えは決して矛盾したものではない。
パラサイトシングル説は、男女にかかわらず親子の関係から少子化を考えるわけであるが、こうした女性の行動変化が未婚率の上昇や少子化につながっているのではないか。
ただし、これは女性が悪いということではなく、責任は社会にある。結婚は男性にとっては、生産性を高め、社会的地位を高めることになる。しかし、女性の場合は逆で、結婚した女性は働く上で「すぐ休む」などのイメージを与えてしまう。このように結婚することが女性にとっては損になるという状況がある。非婚女性の増加は、「結婚」が男女で非対称的な現在の制度に原因がある。そうした仕組みを変えていかないと、女性の未婚率は今後もますます高まるだろう。仮説が違えば、政策インプリケーションも違ってくるので、そういったところも議論していきたい。
家族法の改革も重要になってきている。結婚や離婚の手続きも簡素化されてきているが、まだまだ男女の間で差が残っている点もある。夫婦別姓選択については、別姓がいいか悪いかということではなく、別姓でも同姓でもどちらでもよく、そもそもこれは個人が選択するべきことである。夫婦別姓選択制すら成立しないようでは、他の諸改革はとうてい無理であろう。反対論者は、個人が合理的でないとの前提にたっており、家族法をどう改革していくかは、個人がどれだけ合理的に行動するのかという前提を立てることが重要である。
税制、配偶者控除についても、男性は働き、女性は家事、子育てをするということが、前提になっている。これらは女性が働き出すと結果的にペナルティーが課せられる仕組みになっている。配偶者控除自体は大きな影響はないという人もいるが、これは企業の配偶者手当と結びついている。企業の配偶者手当の元を絶つという意味でも、配偶者控除の撤廃は、増収措置であり、また、それにより働く女性が増加し、課税ベースも広がるため、景気対策及び財源としても有効である。
社会保険では、基礎年金の問題があるが、全く同じ問題が健康保険の被扶養者の制度にもある。女性は長生きし、高齢者医療費は莫大なものであるから、こちらのほうが、第3号被保険者よりも、より大きな不公平の原因になっている。
最後に高齢者と家族についてであるが、家族の扶養義務の範囲について、民法では3親等と非常に広くなっている。3親等の中で誰も扶養する人がいないことを自ら証明しないと生活保護が受けられない。法律上では最低水準の生活保障を生活保護制度が担えないような状況になっている。こうした点をどう考えるかということも重要であろう。
老年者控除や年金課税、高齢者マル優といった、機械的に年齢のみを考慮した優遇制度は、高齢化社会においては矛盾を抱えているのではないか。同じことは老人保険制度や介護保険にかかる家族への現金給付についても言える。
最後に逆住宅ローンの普及を阻んでいるものとして、家族の同意要件があげられる。この制度の趣旨は、住宅資産を流動化させ、個人が自助努力により老後の生活設計を行うというものであるが、対立的な考え方は、家族との暗黙の契約である。日本の伝統的な高齢者の生活保障は、子どもに住宅を残す代わりに老後の面倒をみてもらうというものであったが、それが崩れつつあり、親の面倒をみないにもかかわらず、財産のみもらうという状況もみられる。子どもの競争相手をつくり市場競争をより高めるという位置付けが大事である。そのため家族の同意要件の問題は重要である。

 次に、「家族の不確実化と専業主婦体制の崩壊」について、委員から次のような報告があった。

「家族の不確実化と専業主婦体制の崩壊」について
家族におこっていることを家族の側から見たらどうなるかについて述べたい。
まず、家族のゆらぎについての本質について。個人化が進んで家族を拒否する生き方が増えているわけではない。むしろ逆。家族を求める欲求は強まっているが、家族は不確実かつ不公平なものになっており、人々の心にゆらぎが生じている。今、家族に求められていることは、信頼できる長期的に安定した特定の相手との関係である。それは絆であり、心理的、経済的よりどころである。今まで家族が提供していた個々の欲求は家族なしでも満たすことは可能になってきているが、だからこそますます長期的に信頼できる相手を求める欲求が高まっている。
独身者に対する調査でも「結婚したいが、理想的な相手がいない」という状況がある。パラサイトシングルでいられるのも、親と同居してとりあえず安心できる居場所があるという関係性があるから、結婚に踏み切らないという解釈もできる。
ペットを家族とみなすといった、従来とは別の形で信頼できる関係を作ろうとしている人々もみられる。家庭内離婚は、結婚相手が信じられない、経済的に不満がなくても相手が嫌になることがある例である。ドメスティック・バイオレンスの場合、まわりがどうみても虐待されているのだから別れたほうがいい、施設に入れたほうがいいと判断しても、虐待されている本人が「虐待しないときは本当にいい人だから」「いないよりは、虐待されても親と一緒にいたほうがいい」といった、家族に心のよりどころを求めている傾向が強まっている。
結婚するときや子どもを持つときには、家族というものを合理的に考えることが出来るが、自分の子どもを単純に(耐久)消費財としてみることはできないし、ひとたび結婚してしまうと一方的に離婚することはできない。ともに、一度選んでしまったらなかなか解消することはできない点で共通している。需要はあっても供給されるとは限らないというのが、家族の最大の問題である。虐待されない親を持ちたいと子どもが思っても、それが供給されることはない。また、好き嫌いについて自分の思い通りにならないというのが、家族の問題を考える上での最大の事実である。夫婦関係の調査をしても、努力をすればうまくいくという思い込みがあるようだが、もはや努力する気にもならなくなっている、結婚も条件を下げればできるといわれるが、条件を下げる気にならないというのが現状である。このように、家族を求める需要はあっても、構造的にうまくいかない状態ができているのではないか、そこで家族の問題が発生しているのではないかと思う。
日本の戦前の庶民社会を想定しても、そこでは離婚や死亡率が高く、かつ養子が多いなど、親子関係が非常に不安定であったことが知られている。当時日本は世界でも非常に離婚率の高い国であったが、心理的よりどころとして、家族ではなく、イエや共同体、宗教などがあった。
また、イエ制度は自営業の共同体のような性格があり、家業が経済的よりどころであった。しかし、高度成長期にサラリーマン=専業主婦体制が成立し、イエ、共同体などの心理的よりどころは失われた。
そして核家族が心理的、経済的よりどころとなったわけであるが、この体制が、日本における社会体制を構築するうえでの前提となってしまった。具体的には、夫が死なない、失業しない、離婚しない、結婚できる、夫の収入が上がりつづけるという条件を指す。これらの条件は心理的な家族の安定性を支えていた。戦後日本社会は95%の人が結婚し、今の70歳くらいの人だと、離婚率は10%以下、死亡率は減少していった。
高度成長期のもとで、心理的に、夫は仕事、妻は家事で豊かな生活を築くことが家族の目標となっていた。豊かな生活とは具体的にマイホーム、家電製品による便利な生活、子どもの学歴等をもつことが、家族のまとまりをつくりだしていた。これが、後に、「こどものために主義」でパラサイトシングル化に結びついていると考える。

そして、今おこっていることは、専業主婦体制が崩壊し家族が不安定化しているにもかかわらず、サラリーマン=専業主婦体制が安定していることを前提とした制度が残ってしまっているということではないか。
それにより人間関係の安定性がなくなっていく。未婚率、離婚率の上昇、夫の失業もしくは収入が増えないリスクが高まり、家族の将来設計が不確実化している。しかしながら、今後は少数者となっていくような家族類型を前提として社会システムが作られているのが、不合理であり、また、次の不公平につながっている。
これまでの専業主婦は夫の収入により生活水準が異なる存在だと定義づけられる。また、結婚する男性によって専業主婦になれるかなれないか決まってしまってきた。しかし、今の30代や40代は、妻の働きによって生活水準が異なる状況になっている。介護、育児負担も家族による格差が大きい。昔に比べ、この格差は拡がっていると思われる。パラサイトについても同じことが言える。親の収入が安定していると子は豊かな生活を送れ、逆に親に虐待される子もいる。

 以上の説明及び報告に対する委員等からの主な発言は以下のとおり。

近代家族を前提とすると、血縁を中心とした生活共同体であって、情緒的関係がある、と定義できたと思うが、現代の家族は、生活の共同体という側面と、心理的よりどころという側面が分離しかけている状態ではないか。高度成長期においては、生活の共同体さえあれば、それが心理的よりどころでもあった。しかし今や心理的よりどころではない生活共同体としての家族(家庭内離婚)や、逆に心理的よりどころではあるが、生活共同体ではない家族(別居結婚など)もある。多くの人はこの2つを一緒にしたいとは思っているが、それができていない状況にある。
事実婚や同棲が他国に比べ少ないのは、親と同居している未婚者が多いことが要因と考えられる。今後、親と暮らしながら配偶者とは同居せずに子どもを持つといった家族形態が増える可能性は考えられる。
江戸時代を例にあげると、農村では、次男、三男は分家しない限り結婚できなかった。家族形態は文化とも関わりがあると思う。

町人社会においては大店なり職人の家といったものが1つの大きな共同体をなしていて、さらに町単位で、親が亡くなった子どもを別の親がひきとるといったことがあり、それが生活の保障をなしていた。心理的なよりどころとしては、宗教などがあった。生活の保障と心理的よりどころが分かれていたことにより、ある程度の安心と安定を保ち生活できた。

人々の意識を原因とする問題ならば、はっきりいってそれに対応できる政策はない。
政策的にどうすべきか、という観点で現在ある問題を考えていきたい。

国家・社会的に少子化を是正するために政策を行うというよりも、例えば、まず男性、女性それぞれの人権について考え、自由、公正、中立といった角度から問題を捉え、その結果、人々が満足できる生活をする上で妨げとなっているものがあるのならどういった政策をとるべきなのか、といった切り口をしっかり決めるべき。障害者を含め、個人が生活していく上で様々な選択ができることが重要である。

制約が大きく、自由でない社会では、個人の魅力というものをあまり気にしないですむ面があった。お父さんは仕事の収入で物を買うのが愛情、お母さんは家事や育児に励むことが愛情というバランスがとれており、家庭内のコミュニケーションが少ないといったことは、問題にされなかった。
豊かな社会になり、愛情、心理的よりどころを感じるこういった手段が失われてきたのが、80年代くらいであったと思う。そのころから家庭内離婚といった問題がでてきた。パラサイトについて、調査したところ、いずれ結婚するからこのままでいいと思っており、結婚しなかったら、ということは考えたくもないという回答もあった。また、フリーターについての調査で、10年後どうするかを尋ねたところ、6?7割の人が夫に養ってもらい、自分は自由に働くといった回答であった。理想どおりになることは困難なはずで、短期的にみたら合理的な行動かもしれないが、長期的な計画については考えようともしない、親はそれで困っているという話をよく聞く。

個人が自由に選択できる社会は素晴らしいが、実際にはそう簡単でないことが多い。少子化については、子どもを産みたくても産めないといった状況は是正すべきだと思うが、子どもをもつことは喜びの反面、大きな労働でもあり、負担でもある。負担を軽減する工夫を行う必要がある。

負担になることは必ずしも嫌なことであるとは限らない。むしろ、負担がない人もいるのにどうして自分だけ負担があるのか、といった点が問題である。結婚や子育てをした人がばかをみる、といった仕組みこそが女性の行動を妨げている原因ではないか。

パラサイトシングルは都会の裕福な家庭にあてはまると思うが、若い女性がそもそもいないという農村などの問題もある。

 過疎地における調査では、自分の息子と結婚する妻に自分と同じ苦労を経験させるべきだという母親や、自分の母親のような苦労を自分の妻となる人に経験させたくない、だから自分は結婚しないという男性もいる。今までどおりの家族のあり方でお嫁さんを迎えようとしてもうまくいかなくなっているのに、そのことがなかなか理解されていない面がある。

お嫁さんが来ない地方というのは、ある意味、競争に負けているともいえる。そこで生まれた女性が、都会へ出て行くというのは、そこに魅力がないからであり、そうすると、当然よそから地方へ来ることは考えにくい。
 こうした問題は、多少補助金をつけたからといって解決するものではない。会社形態にして報酬や負担を明確にし、休日もきちんととれるように農業を行うといった、思いきった制度改革をしなくてはならない。自営業で行うとしても、妻にも株主としての地位を与えるといった経営協定を導入すべきといわれているが、なかなか進んでいない。
また、そのような代替的なプランを行うにも様々な規制がある。そうした規制を除くことにより競争原理が働き、結果的に住みよい社会になるのではないか。

絆というものが夫婦でなくても構わないということであれば、未婚の父として養子を育てるというパターンもありうると思う。フランスでは匿名で出産するという制度がある。妊娠した女性が中絶せずに、名前を明かさず養子として出すものである。日本も養子を求める人は多いと聞く。

 少子高齢化の対策を行い、その結果人口爆発になっても、そこで政策をやめることはできない。人口政策が目的なのか、個人の幸福が目的なのか、留意すべきである。

国家理念を立てるのが先決で、出生率の動向はその後に結びついてくるものである。スウェーデンは最近数十年間が注目されがちであるが、20世紀当初からすでに出生率は低下していた。
国家理念で個人の確立が重要であることが認識されはじめたのは、20世紀の半ばごろになってからである。それから男女共同参画社会の建設が始まっていることを考えても、人口の減少要因と直接結びつくものではなくても、個人の自由な選択の妨げとなっている制度は除外していくべきものと考える。

あくまでも、住みよい社会をつくることが、結果的に子どもが生まれる社会。今の社会は制約があまりにも多くて住みにくい。そのひとつの現れが少子化である。

委員からの発言が一巡したところで定刻を迎え、事務局より次回以降の日程の説明等を行った後、閉会。

6.今後の日程
 次回第2回家族とライフスタイルに関する研究会は、3月29日(木)14:00に開催予定。

以上
 なお、本議事概要は、速報のため、事後修正の可能性がある。

(連絡先)内閣府国民生活局総務課調査室
      補佐 中垣   
      担当 高塩、木村
TEL 3581−9369(直通)